萌えていたあの頃〜「推し」の今と〜
使うかも、と取っておいたトレンチコート(春〜秋もの)をいよいよ処分したみりんです。こんにちは
(春と秋ますます短くなってない??)
ちょっとだけ仕事が落ち着いたので、昨今の「推し」について思うことを書いておこうと思います。
自分は「推し」を押されるのがしんどいな、と思うのですが、他の方はどうなんでしょうか?
ファンやオタク側が「推す」のは自由だと思うのですが、
推される側や公式側が、あらゆる商品販売などにおいて、
「推し」てね、とアピールするのが息苦しく感じています。
「推し活」なんて使われるとめちゃくちゃ萎えます。
なんか義務的に感じてしまって……。
コンテンツや好きな人を応援するには「数字」が大事だ、
ということも、もちろん分かっています。
あらゆることにはコストがかかるし、
採算が取れないならやめる、
となるのは大人としてものすごく分かるのだけれど、
だからといって好みでないグッズを買いたくないし
(全部買えるほど金銭的に余裕があるわけでもないし)
買うなら純粋に欲しい!という気持ちのまま買いたいし、
義務感は持ちたくないなと思います。
閉塞感を感じることが増えたし
SNSはお引越ししなきゃかもだし
使えるお金は目減りしていくし。
そんな状況だから余計思ってしまいます。
2000年台くらいに「萌え」という言葉が主流だった頃の方が、私はまだ健全だったような、
楽しかったような気がしています。
やれ貧乳だなんだ、とネタですら今は言いづらくなったな、と思います。(それがいいか悪いかは置いておいて)
当時は社会人じゃなかったので、
日常が疲労だらけじゃなくて、
アニメなどを楽しむゆとりが肉体的にも精神的にもあったからなのかもしれませんが。
社会人になり、労働が増えてしまい
「日常」でもういっぱいいっぱいで、
ゆとりがない今の自分は、
「推し事」からは距離をとってしまいます。
手取り増えますように〜(祈り)
(気軽に遠征したいよ。。。)
2023/9月頃に↑の文章を書いてたみたいです。
2024/7の今も、思うことはそんなに変わらないし
世の中的にもこの状況のままかなーという気がします。
なんだか、今の方が「推し」をより強く勧められている気がします。
「あなたの推しは誰ですか?」という問いが普通になってきたような。
もちろん、何かを好きになれることは
素晴らしいことだけど、
神格化して崇め奉らなければならないのだろうか…?
どうか若い子達が不健全にお金を貢がされるような仕組みが改善してくれたらいいなと思うし、
これはものすごく老婆心だけど、
自分のためにお金を使うということを許せるような状況になってくれたらいいなと思います。
推しという概念のために、
犠牲になる必要はないんじゃないかな……